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孤高の秀才、卒論で狂った歯車 Hagexさん殺すまで

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孤高の秀才、卒論で狂った歯車 Hagexさん殺すまで

きょうも傍聴席にいます


 ある男性が2018年6月、福岡市で初対面の男に刺し殺された。男は男性に対し、インターネット上で一方的に恨みを募らせていた。バーチャルの世界でしか接点のなかった2人。なぜ、リアルの世界で殺人事件の加害者と被害者になってしまったのか。


 11月11日、福岡地裁の法廷に、男は現れた。青いネクタイを締め、濃い紺色のスーツ姿。起訴状の朗読が終わると、男は淡々とした口調で話した。「間違いありません」

 殺人と銃刀法違反、建造物侵入の罪で起訴された松本英光被告(43)。起訴状によると、18年6月24日、福岡市中央区の起業家支援施設で、会社員岡本顕一郎さん(当時41)をナイフで刺殺したとされる。岡本さんは「Hagex」のハンドルネームで活動する有名ブロガーだった。


 事件はどのようにして起こったのか。公判などから経緯をたどる。


 被告は3人きょうだいの長男で、熊本県で育った。親からは「手のかからない素直な子」、周りからは「ひょうひょうとした孤高の秀才」と見られていた。同県天草市の高校を卒業後、九州大文学部に進学。順調な人生と思われた。


 だが、歯車が狂い出す。きっかけは大学の卒業論文だった。参考文献の英文が難解で、読み込みが一向に進まない。被告は「ハードルが高かった」と振り返る。卒業できず、大学を除籍処分となった。福岡県内の製麺工場で8年間アルバイトを続け、上司に誘われ正社員になったが、上司からの評価が原因で、30代半ばで退職した。


 その後3年は貯金を切り崩す生活。インターネットオークションでゲームソフトやCDを売り、生活費を工面した。売る物がなくなると、両親からの仕送りに頼り始めた。13日の公判で証人として証言した被告の父親は、被告が無職になったとわかって以降、折に触れて「生活できないなら帰ってこい」と呼びかけたが、「無視されていた」と話した。


 一方、ゲーム、アニメのほか、多くの時間をインターネットに費やすようになった。さらに、ネット上に書き込めるサービス「はてなブックマーク」や「はてな匿名ダイアリー」で、他人の記事にコメントを付け始めた。被告を鑑定した精神科医は「現実の会話を苦手としていた被告にとって、コメントを読んでから考えた上で返信できるインターネット上のコミュニケーションは、楽しみやすかった」と分析している。


 当初は話題のページを見ていただけだった被告。だが、そのうち他人を攻撃するようになった。12日に証人として出廷したサービスを運営する「はてな」社の社員によると、被告は15年ごろから他のユーザーを「低能」と罵倒し、「低能先生」と呼ばれるようになった。「短期間で集中的に『低能』『ばか』『死ねばいい』と罵倒する投稿を繰り返していた」と社員。多い時には1時間で100件。「常軌を逸していた」と振り返る。


 「規約に反する複数のアカウント(サービス利用の権利があるID)を作った」として、はてな社からアカウントを何度も凍結された。だが、その度に新しいものを作った。最終的にはアカウントは計500件に上った。


 これに対し、岡本さんは「『低能先生』という悪質な荒らしがいて困っている。怖いし、気持ち悪いから放っておく」と話していた。13日の公判で、岡本さんの妻が18年春にそう打ち明けられたと語った。


 岡本さんは福岡県出身。子どもの頃から機械に関心が高く、好奇心が旺盛だった。無線で見知らぬ人とやり取りしたり、パソコンを自分で作ったり。上京後はインターネット系の雑誌の編集者を経て、ネットセキュリティー会社の立ち上げに携わった。


 ブログを始めたのは04年ごろ。日々の出来事を書き込み、面白い他人の投稿を見つけては、わかりやすくまとめて一言添えるようになった。年間で100万ページビュー(PV)を超えた。


 「Hagex」の名で本を出し、NHKの番組の制作に協力するようにもなった。18年4月には「自分が好きなインターネットを、より多くの人に楽しんでほしい」と勉強会を都内で開催。6月に開く第2回の会場を福岡市に決めた。


 一方、「低能先生」の書き込みが目に余ると感じるようになった。「低能先生について、はてな社に通報したらすぐに凍結した」。5月2日のブログ記事でそう書いた。自身の対応として、運営会社に通報しているという内容だった。


 被告にとっては、これが「決定打みたいな感じ」になった。


 ネットの書き込みで、岡本さんが福岡市で勉強会を開くことを知った。危害を加えたい相手のリストを作り、岡本さんを入れた。立てかけた毛布に凶器のナイフを使って予行演習をした。勉強会の1週間前には、同じ時間帯に現場を下見で訪れた。


 18年6月24日、日曜日。被告は午後7時4分ごろ、福岡市中央区の繁華街の中にあり、勉強会が開かれていた起業家支援施設に侵入し、待ち伏せた。午後7時59分ごろ、勉強会を終え、トイレで用を足していた岡本さんを無言で襲った。持っていたレンジャーナイフ(刃渡り16・5センチ)で背中、首、胸と多数回突き刺した。傷は30カ所以上だった。逃走し、着ていた服や自転車を捨てた。


 「ネット弁慶卒業してきたぞ。俺を『低能先生です』の一言でゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ」。そんな声明をネットに書き、近くの交番に出頭した。


 被告は12日の被告人質問で、動機について語った。


 弁護人「岡本さんを殺害しようと思った理由は」


 被告「死なない限り、集団リンチをやめない人間だと思ったから」


 弁護人「集団リンチとはどういうものか」


 被告「複数の人間で、個人、一般人へ攻撃することです。私の場合は(サイト運営会社への)通報と(アカウントの)凍結。通報者と凍結する運営。弱いものいじめで相手を一方的にいたぶって楽しんでいる。許せません」


 予定していた犯行後の行動は「はてな本店に行くつもりでした」「刃物を持っていただけで脅しになりますよね」と説明した。ただ、実際には行かずに交番に出頭した。その理由については「対等な立場で殺し合いを挑む感覚だったが、一方的にやってしまった。私が否定しているいじめをやってしまったと反省して、出頭を決めました」と振り返った。


 岡本さんへの気持ちを尋ねられると、こう語った。「間違った手段をとって殺害してしまった。めった刺しにして多くの苦痛を与えてしまった。苦痛を与えるのが嫌いなので、申し訳なく思っている」


 一方、検察官による質問では、別の感情ものぞかせた。


 検察官「岡本さんを殺したことについてどう思っている?」


 被告「死んだということは、二度と集団リンチをしないという点で後悔はないです」


 検察官「岡本さんの外見をどうやって特定したか」


 被告「ネットで公開された画像で顔の輪郭はわかっていた。イベント中、廊下で声もわかった」


 犯行後の声明の真意については「私自身、口にしたことは実行しないといけないと思っている。言葉に対しては誠実じゃないといけないと思っていて、『死ね』と言った言葉は死なせることが誠実だと思っている」と説明し、「自分の望む世界に1人分近づいたという感じです」。


 15日の公判では、遺族の意見陳述として出廷した岡本さんの妻と妹が訴えた。「人生が壊れてしまった。事件が出口のない地獄の始まりだった」「兄が亡くなった41歳を自分が超す日がくると思うと、すごく辛くなります」


 ノートにメモをとりながら聞いていた被告は、その後の最終陳述でこう述べた。「初めて遺族の方の声を聞きました。大変深く共感します。自分のやったことには責任をとるつもりです。極刑にされても控訴しないことをお約束します」


 公判では、被告の責任能力の範囲が争点となった。


 被告は「自閉スペクトラム症」と診断されている。コミュニケーションがうまくいかなかったり、考え方が狭くなってしまったりする発達障害の一種だ。検察側は「犯行に病気の影響はなく、善悪の判断能力と行動制御能力に著しい低下はなく、完全責任能力を有していた」と主張。一方、弁護側は「心神耗弱状態にあり、責任能力は限定的だった」と反論していた。


 精神鑑定をした精神科医は、13日の公判に証人として出廷し、被告や事件について、こう分析した。


 「被告の攻撃的な面は現実社会の対人関係で出ることはなかった。ただ、ネットの中では、他者と全く違う関わり方をするようになった。被告の中の攻撃的な面が引き出されてしまった。もし、被告がネットのない時代に生まれていたら、本件のような犯行に至った可能性は、極めて低かったと考えられます」


 検察官は15日の公判で、「ネット上の言論を殺人という究極的な方法で封殺した理不尽きわまりない犯行」と懲役20年を求刑した。


 そして20日の判決。


 岡崎忠之裁判長は完全責任能力を認定し、「強固な殺意に基づく、計画性の高い犯行。動機についても身勝手で理不尽と言わざるを得ない」と指摘。懲役18年を言い渡した。(角詠之)


アサデジより転写 20日・18:30


京アニ!も


どうせ 死刑になる………………


と 語っている……

極刑!を 覚悟しての犯行は………恐ろしさを超えている





by tomoyoshikatsu | 2019-11-28 00:00 | 呟き と 嘆き