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沖縄海兵隊

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沖縄に拠点を置く米海兵隊の中で、ある部隊のことが気になっていた。「第31海兵遠征部隊」(31MEU)。有事の初動対応などを担う海兵隊の中核だ。キャンプ・ハンセン(沖縄県金武(きん)町など)に司令部を置き、米軍普天間飛行場(宜野湾市)を日常的に使う。名護市辺野古に新しい基地施設が建設されれば使うことになる。そもそも、なぜ沖縄にいて、どんな活動をしているのか。抑止力の中核なのか、そうではないのか。かつての司令官たちを米国に訪ねて本音を聞き、垣間見えた部隊の素顔とは――。


 記録的な大寒波の到来を前にした1月末。私は、米国中部ケンタッキー州ボーリンググリーンという街にいた。人口約6万人。待ち合わせ場所のホテルに、紺のスーツ姿の男性が現れた。


 ジェリー・ハンブル氏(71)。外は太陽が厚い雲に覆われて凍えるような寒さなのに、コートも羽織っていない。胸には星条旗のピンバッジ。背筋をぴしっと伸ばしたまま、沖縄時代を振り返り始めた。


 ハンブル氏は31MEUの初代司令官。部隊は1992年、冷戦が終わった後、国際情勢の不安定化を見込んで沖縄に設置された。日本には米国の海兵隊員が約2万人(2018年12月現在)いるが、このうち31MEUは約2千人。小規模だが、米軍再編後は唯一の地上戦闘部隊となる。


 MEUはMarine Expeditionary Unit(遠征部隊)の頭文字。米軍はMEUを七つ持つが、外国に置くのは沖縄だけだ。ハンブル氏は31MEUの組織作りや訓練計画の策定に携わった。


 ハンブル氏によると、注意を払って検討したのは、31MEUの任務だったという。戦争や紛争の現場から非戦闘員を退避させる作戦や、ボートによる上陸強襲、敵方の飛行場の制圧など、特殊任務が10以上に及んだ。「どこでも、何でもできるよう、常に準備していた」


 今回、私は渡米する前、情報公開請求で米海兵隊から31MEUのコマンドクロノロジー(部隊年報)を入手していた。それにも多様な任務の訓練が記されている。

 沖縄での訓練の内容も多様だった。あるときは、クーデターに追われた仮想国の大統領を救出、あるときはカンボジアの共産主義組織「クメール・ルージュ(ポル・ポト派)」に扮したゲリラ役を制圧――。


 ハンブル氏はその後、在韓米海兵隊司令官などを歴任。現在は地元に帰り、コンサルティング業務などに携わっているという。

 31MEUが沖縄に残る理由について、こう推測した。「(有事などでの)先導部隊だからだろう。私たち米国にとって、外交的、経済的利益を守るための。そして同盟国を守るための」

    

 その後、私は東海岸バージニア州のクアンティコという街に向かった。首都ワシントンから車で1時間ほど。海兵隊の本部がある、まさに本拠地だ。基地のゲート前には、セキュリティーチェックを受ける車が列をなしていた。


 31MEUは、11年に東日本大震災が発生した際、米軍の被災地支援「トモダチ作戦」に参加している。当時の31MEU司令官のアンドリュー・マクマニス氏(57)から取材場所に指定されたのが、クアンティコのそばにある国立海兵隊博物館だった。

 館内には、実物大のヘリ模型などの展示物がある。写真や映像で海兵隊の歴史をたどることができ、日本と深い縁であることも分かる。「ペリー、日本を開く」と書かれたパネルには、ペリーが1853年に日本に来航した際、200人の海兵隊員を伴っていたことを紹介していた。


 太平洋戦争での日本軍によるハワイの真珠湾攻撃については「卑劣な攻撃は、米国を太平洋から追いやる意図を明らかにした」と解説していた。

 戦争の終盤に南方の島で日本軍と対峙(たいじ)したのは主に海兵隊で、最も知られるのが「硫黄島の戦い」だろう。日本軍を制圧後、山頂に星条旗を翻す、あの有名な写真も大きく飾られていた。


 戦後、海兵隊はベトナムや中東などで戦ってきた。館内には、多くの子どもたちがいたが、案内していたのは「語り部」の元隊員たちだった。

 冷戦後、米国は広大なシーレーン(海上交通路)を擁する東アジアから中東に至る地域を重視。前方展開拠点である沖縄の海兵隊に多様な任務を担わせてきた。一方、日本政府は、沖縄の海兵隊について「日米同盟の抑止力およびその中核」(安倍晋三首相)と、その意義を強調している。


 在沖海兵隊の中核とも言われる31MEUはいま、どう動いているのだろうか。

 私が情報公開請求で入手した31MEUのコマンドクロノロジー(部隊年報)では、31MEUは長期間沖縄を離れて海外で訓練していることが裏付けられた。多い年で年間で約160日に上る。有事には中東まで展開。アフリカでも作戦を実行する準備をしていたことも記されていた。


 さて、マクマニス氏とのインタビューに戻ろう。

 現在、マクマニス氏はシンクタンクの研究員をしている。太平洋を中心とした安全保障や海兵隊が専門だ。柔和な笑みを絶やさないマクマニス氏に聞いてみた。

 「中国の脅威は増していると言われています。米軍再編で多くの海兵隊はグアムなどに移転しますが、沖縄に残る31MEUで抑止力になるでしょうか」

 マクマニス氏は「難しい質問だ」と言い、神妙な面持ちで少し考えた。その後、「あくまで私見だ」と断った上で語った。


 「31MEUが、(日本に)身近な脅威に対して様々な能力を発揮できるのは確かだ。しかし、それが抑止なのか。どのぐらいの量が抑止になるのか。私には分からない。31MEUは、多くのことができるが、メジャーな戦力ではない。限りがある」


    

 海兵隊の本拠地から西へ約1万2千キロにある沖縄。海兵隊が国外で唯一、前方展開の拠点としている場所だ。沖縄の米軍基地のうち、7割近くを海兵隊が使用している。

 そこでは、基地を抱える沖縄の人々の思いと、日本政府、米軍という3者の「落差」があらわになることがある。


 その一つが、2016年12月、沖縄県名護市沖で訓練していた海兵隊の輸送機オスプレイが不時着し、大破した事故のときだった。

 当時、海兵隊は夜間に空中空輸する「厳しい訓練」(自衛隊幹部)をしていた。沖縄は「怒りを禁じ得ない」(翁長雄志(たけし)知事=当時)とオスプレイの撤去を要求。日本政府は飛行停止を求めたが、米海兵隊は、事故から1週間足らずで飛行を再開した。在沖海兵隊トップのニコルソン中将(当時)は「ワシントンもオスプレイは引き続き飛行すると判断している」と言った。この判断を日本政府はあっさり追認した。


 こんなこともあった。

 17年8月、大臣就任直後の小野寺五典防衛相が沖縄を訪問し、那覇市内のホテルで在日米軍幹部と会談したときのこと。会談は、ホテルから報道陣を締め出すピリピリムードのなか、行われた。後日、複数の日本政府関係者が取材に明かしたところでは、この場で米軍から「現実」が突きつけられたという。

 会談で小野寺氏は、当時問題になっていた米空軍嘉手納飛行場でのパラシュート降下訓練について、なるべく避けるよう求めた。

 だが、在日米軍幹部は、こう言った。「軍人として、訓練以外に練度を維持する方法は無い」。在沖海兵隊トップのニコルソン氏は、緊張感が高まる朝鮮半島情勢を受け韓国出張で不在だった。防衛省幹部は私に対し、「米軍の論理からすると、日本政府の意向は二の次なんだ」とうめいた。

    ◇

 青い海が眼前に広がる在沖海兵隊の司令部。その前には、海兵隊の記章をかたどったモニュメントがある。記章には、地球に船のいかりと、国鳥であるワシが配置されている。世界の海を駆け回る海兵隊の象徴だという。出張で出向いたバージニア州の博物館にも、同じ記章をかたどったモニュメントが入り口に掲げられていた。


アサデジより転写


今日は 義足の受け取りの日です……… 前日投稿です

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殺人に至るのは問題だけど……

そこへ至った

原因と要因!!!

コレが判らないと……………

お昼の『 ワイドショー 』では

台本通りに!!!

言いたい放題をディレクターがつくりあげる

そこには

被害者……加害者、、、への 想いはない

他人の感情は

誘導されるんですからね


by tomoyoshikatsu | 2019-04-16 09:42 | 政治