「 原爆の子 」の像………

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原爆投下の10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子(さだこ)さん(当時12)をモデルにした「原爆の子の像」が、広島平和記念公園広島市)にできて、5日で60年が過ぎた。きっかけを作った同級生らは70代半ばになったが、今も心に「禎ちゃん」が生き続ける。

 大型連休の時期にも、少女が両手を大きく広げた高さ約9メートルの像を、国内外の人々が絶え間なく訪れていた。折り鶴を供える人、平和集会を開く修学旅行生たち。埼玉県に住むカナダ人の英語教師エマ・ウェストリーさん(25)は「子どもたちの声に耳を傾けることを大人は忘れてはいけない、と訴えているようです」と話した。

 「サダコ」の物語は絵本や紙芝居、漫画などになり、海外でも広く知られている。核兵器廃絶を願う各国の人たちの「シンボル」となり、2016年に現職の米大統領として初めて広島を訪れたオバマ大統領も自作の折り鶴を持参した。

 像建立のきっかけは、広島市立幟町(のぼりちょう)小の「6年竹組」の級友たちの「禎ちゃんの墓を作り、月命日に集まろう」との思いだった。

 「世界平和とかそんな雲の上のようなことは、考えていなかったんです」。2年から6年まで同級だった広島市の川野登美子さん(75)は言う。

 被爆者支援に奔走していた故・河本一郎さんに背中を押され、他校の有志らと全国に呼びかけると、児童、生徒らから約540万円の資金が集まった。1958年5月5日に、像は除幕された。

 川野さんは代表を務める市民団体を通して、原爆の子の像に寄せられる折り鶴をノートとして再生し、国内外の子どもたちに贈っている。2013年には禎子さんとの思い出などをつづった書籍「原爆の子の像 6年竹組の仲間たち」を自費出版。ノートを届ける海外の子らにも読んでもらおうと、今年3月英訳を加えた新版も出した。

 同じく竹組だった同市の理髪店経営、空田寛美さん(75)は4月、古びた1羽の折り鶴を幟町小に寄贈した。同小に5月12日、禎子さんの資料などを並べた平和資料室ができると聞いたからだ。

 高さ3・8センチの紅色。禎子さんが回復を願って病床で折った形見の折り鶴で、1955年秋、禎子さんの葬儀で、遺族から20羽ほどを手渡された。訪ねてきた人にあげるなどした後、最後の1羽を自宅の仏壇にしまっていた。「苦しんだ先輩がいたことを、後輩が理解するのに使ってほしい」

 竹組の仲間は今も、年に1度同窓会を開く。「禎ちゃんがいるからつながっている」。川野さんたちはそう考えている。(宮崎園子

     ◇

 〈佐々木禎子さんと原爆の子の像〉 2歳で被爆した佐々木禎子さんは、1955年10月に死去。「鶴を千羽折ると病気が治る」と信じ、薬の包み紙などで1300羽以上の鶴を折り続けた。像は東京芸大教授だった故・菊池一雄氏がデザイン。ノーベル物理学賞受賞者の故・湯川秀樹博士は、内部につるされている「地に空に平和」などと彫られた鐘と金色の鶴を寄贈。毎年約1千万羽(重さ約10トン)の折り鶴が寄せられる。

アサデジより転写



すぐにやってきますよ………

8月6日 & 8月9日………

見つけ次第!載せていきます………

『 高校生平和大使 』に 貼り付ける事もあります!


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by tomoyoshikatsu | 2018-05-16 22:42 | 平和 | Trackback | Comments(0)