依存症と向き合う…………

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みりん!調理酒!を 使わず「 醤油 と 蜂蜜 」の味付け

 午前6時過ぎ、インターホンの音で眠りから覚めた。

 「奥さまが倒れていたものですから……」。玄関を開けると、見知らぬ男性が、泥酔した妻に肩を貸している。私は丁重に礼を述べながら、心の中で「またか」とつぶやいた。5年ほど前のことだ。

 2009年ごろから妻はアルコールに依存するようになり、たびたびこんなことが起きた。

 はじめは近所のコンビニや居酒屋でビールを飲み、ほろ酔いで帰ってくる程度だった。主治医も私も飲酒をやめるよう注意した。ただ、苦しさから酒に頼る気持ちはわからなくはないし、私はそれほど大きな問題と認識できなかった。

 次第に妻は、アルコール度数の高い日本酒を口にするようになった。カップ酒を自分の部屋に隠し、昼夜問わず飲み続ける。私が家を出る朝も、帰宅する夜も、深酔いして寝込んだままだ。家事ができず、台所とリビングは散らかり放題になった。

 私が日常生活の介助をせざるをえなくなった。ふらつく妻を起こして着替えさせ、家の中を片付ける。シャワーを浴びさせ、嘔吐(おうと)物を処理する。彼女がもうろうとしながら通販番組で高額な商品を注文するため、その都度、解約や返品の手続きをとった。いちばん難儀したのは、コンタクトレンズを外すことだった。

 後に知ったのだが、こうして家族が世話を焼く行為は「イネイブリング」と呼ばれ、結果として、飲酒がもたらす問題から本人に目を背けさせてしまう。飲酒をやめるよう説教したり、酒を捨てたりするのも同じだ。依存症治療の原則として、家族はこうした行為をやらない方がよいとされている。

 妻は街中でも泥酔し、通行人からたびたび119番通報された。毎月のように私が救急隊から呼び出され、仕事を中断して駆けつけた。

「飲んでない」と言い張り

 妻はもともと酒が強かった。新婚旅行先の米国ニューヨークでは、夕日に染まる摩天楼をながめながらビールで乾杯した。私が特ダネを書くと家で祝杯をあげた。彼女は飲んでも崩れることがなく、愉快な酒だった。

 ところが、依存を深めるにつれて酒癖が悪くなった。未明に「もう病院に行かない」と大声をあげ、ふすまを蹴飛ばして大きな音を立てる。私は眠りを妨げられ、近所から苦情が来ないかハラハラした。

 アルコール依存症は「否認の病」といわれ、患者は自分が病気だと認めたがらない傾向があるが、妻の否認は極端だった。そばに空き瓶が転がっていても、「飲んでない」と言い張る。酒の臭いを指摘すると、逆上して殴りかかってきた。

 このころ、私の中で何かが壊れた。

 「俺は君の奴隷か!」「君のせいで俺の人生は台無しなんだよ」。妻をひどい言葉でののしった。それでも足りずに壁に向けていすを投げつけ、物を床にたたきつけた。

 飲酒の問題が起こるまで彼女に怒鳴ったことはなかった。彼女が泥酔してほとんど覚えていないのが救いだったが、自分の振る舞いに驚き、嫌気がさした。かつて取材したシングルマザーから聞いたDV被害のことが頭をよぎり、自分が怖くなった。

 妻が飲んだかどうかがいつも気になり、気分が乱高下する。彼女がしらふでいると幸せな気持ちになり、飲んだ途端に絶望的になった。

 アルコール依存症には「家族全体の病」という別名もある。家族は本人の飲酒に気をとられ、起きる問題に巻き込まれる。私もまさにそうだった。

入院と退院、繰り返して

 飲酒が始まってから、妻は過食が減り、逆に食事をあまりとらなくなった。10年ごろには体重が25キロ前後まで落ちた。それなのに本人は「私は太っている」と思い込んでいた。

 摂食障害アルコール依存症が重なると、体へのダメージがより深刻だ。妻はやせ細った体に1日5~6本のカップ酒を流し込み、栄養失調と肝機能障害が進んだ。何度か内科に緊急入院したが、ある病院からは「飲酒をやめない限りよくならない。次回から入院はお断りします」と通告された。

 内臓だけではない。酔って転倒するため打撲や骨折を繰り返し、歯磨きができないためか虫歯が目立った。内科、整形外科、歯科。精神科への通院以外に、私が同行する診療科が増えた。

 アルコール依存症を専門とする病院に2回入院したが、妻は「耐えられない」と1泊だけで退院してしまった。この病気から回復するには患者自身の意思で断酒するしかなく、専門病院の多くは患者の自発的な入院しか受け付けていない。

 厚生労働省研究班の全国調査(13年)によると、アルコール依存症の経験者は推計で約109万人。飲酒が引き金となる問題は病気、けが、事件、事故、自殺、生活苦など幅広い。

自助グループでの出会い

 酒をやめることは難しい。そして、やめ続けることはさらに難しい。この難しさを乗り越える支えとして、自助グループと呼ばれる活動が全国にある。

 自助グループでは、断酒を継続するために患者同士が定期的に集まり、体験や思いを語り合う。この取り組みが回復に有効とされ、専門医療機関は患者に参加を促している。「断酒会」と「AA(アルコホーリクス・アノニマス)」の二つがよく知られている。

 家族の同伴が許されているいくつかのグループを選び、妻とともに参加した。そこで新しい世界を知った。

 酒が原因で家族と別れた過去を振り返る人がいる。職を失って初めて断酒を決意した人がいる。10年以上酒をやめている人もいれば、「今日、飲んでしまいました」と明かす人もいる。年齢も社会的立場も様々な男女が、断酒という共通の目標でつながっていた。

 妻も語った。「回復って、まだ私にはイメージできません。でも、夫と普通に暮らしたい」

 発言は「言いっぱなし、聞きっぱなし」が原則だ。何を話しても、非難も称賛もされない。ここでは「治療する側」と「治療される側」の区別がない。

 集う人たちは自然に自分をさらけ出しているように見えた。同じ苦しみを通ってきた同士だからこそ、安心して自分の弱さや無力さを見つめることができるのだろうか。当事者の言葉に心を揺さぶられながら、私は、自助グループが「効く」理由がわかる気がした。

 家族限定の自助グループにも参加した。妻の飲酒が止まらないこと。彼女の健康が心配でたまらないこと。つい怒鳴ってしまうこと――。抱えていたものを吐き出した。

 ある会の終了後、会場の近くで、高齢の男性が私を見つめていた。先ほどの会で、かつて奥さまが酒で苦しんだことを話していた人だ。

 男性の目に涙があふれた。「あんた、ほんまにしんどいなあ。わしは何もしてやれんけど、つらさはよくわかるで」。私も落涙して言葉が出てこなかった。

 そのころ妻は新たな療法に取り組み始めた。

     ◇

 精神疾患に苦しむ当事者や家族のヒントになれば――。そんな思いから、15年を超える私の介護体験を「妻はサバイバー」と題して、書きつづっています。連載にあたっては妻とも話し合い、「同じ悩みを抱える人たちが、もっと声を上げやすくなるように」との願いをこめています。

 (次回は5月下旬に配信の予定です)(永田豊隆)

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 永田 豊隆(ながた・とよたか) 1968年生まれ。読売新聞西部本社を経て、2002年に朝日新聞社入社。岡山総局、大阪本社生活文化部、大阪代表室で勤務し、現在は地域報道部。生活文化部で生活保護制度、多重債務非正規雇用、自殺防止などのテーマを取材。関西の大学で貧困問題の講師も務めた。生活保護関連の報道で、07年と09年に貧困ジャーナリズム賞を受賞した。

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 朝日新聞デジタル編集部「マンスリーコラム」係

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妻の介護を始めてから、周りの風景が以前とは違って見えるようになった。

 大阪・中之島にある朝日新聞大阪本社は北に堂島川、南に土佐堀川という二つの河川にはさまれている。私が赴任した2000年代半ば、川沿いには数多くの野宿生活者が暮らしていた。かつては野宿者の存在を意識したことすらなかった私が、青テントや段ボールの寝床に沿って歩きながら、彼らの痛みを思わずにいられなくなった。

 妻の過食嘔吐(おうと)に伴う食材費で借金返済に追われ、介護離職が現実味を帯びていたころだ。多重債務や失業から路上生活に入った人たちの姿が他人事とは思えなかった。

 気がつくと、自然に、人の生き死ににかかわるテーマにばかり足が向いた。生活保護多重債務派遣切り、自殺。「どうしてお前は好き好んで暗いネタばかり追っているんだ」とあきれられた。

 妻の症状が悪化するにつれて、安らげる居場所がなくなったが、取材に打ち込むことで忘れることができた。貧困の当事者に話を聞かせてもらうと「つらいのは自分だけじゃない」と思えた。

 だが、逃避できない場合もある。

好不調の激しい波

 精神疾患には多かれ少なかれ好不調の波があり、急変も起こる。仕事と介護を両立するうえで、見極めが難しい。

 2007年夏、取材先から本社に戻る途中、携帯が鳴った。表示を見ると妻だ。

 「あなた、さようなら」。何のことか尋ねると、「死のうと思って、睡眠薬を大量に飲んじゃった」。

 頭が真っ白になった。119番通報して、タクシーで自宅に直行。救急隊を家に入れ、救急車に同乗した。病院の集中治療室で一晩、口からチューブを挿入した妻のそばで過ごした。早めに処置できたおかげで後遺症は残らずにすんだ。

 翌日には東京出張を予定していた。迷ったが、意識の戻った妻から「二度としない。出張に行ってほしい」と強く請われ、新幹線に乗った。以後は自殺防止のため、薬を旅行用のトランクに入れて私が管理することにした。

 仕事に行くか、妻のそばにいるか。難しい判断を迫られるときに支えてくれたのは、職場の仲間だ。

 ある日の深夜、妻が台所から包丁を持ち出した。悲鳴を上げ、薬を入れたトランクを切り裂こうとする。私が止めると、切りかかってきた。精神科病院の当直に電話したが、「家族の手で連れてきてください」。とても無理だ。

 翌早朝には大事な取材があった。このときを逃すと会えない相手で、延期できない。とはいえ、妻を放っておくわけにもいかない。迷ったあげく、職場の上司に電話して事情を説明したところ、同僚の若手記者が代わってくれることになった。

 朝早い取材を未明に指示されるなんて迷惑このうえないはずなのに、その同僚は「大事な仕事を任せてもらって、うれしかったです」と私を気遣ってくれた。

ぬぐえぬ不安

 生活は一変した。

 受診付き添いや入退院手続き、問題行動への対応、ぎりぎりの家計管理、最低限の家事――。仕事のなかに「生活」が入り込んでくる。取材のアポイントをとる時は、妻の受診予定もにらんで日程を調整しなければならない。毎日のように預金残高をチェックし、生活費や医療費を払えるかを確認するようになった。

 妻が自殺していないか。近所に迷惑をかけていないか。会社でも、取材先でも、不安の塊がのしかかって集中できない。仕事のやり方を変えた。

 午後は早めに帰宅した。妻が危険な行為をしないか見守り、いつでも夜間救急に連れて行けるように心づもりをしながら、電話取材をして原稿を書く。夜が更けて、処方された睡眠剤で妻を寝かせた後、集中してパソコンに向かった。

 どうしても心配がぬぐえずに、妻を自費で東京出張に連れて行ったこともある。都内で取材している間、妻の学生時代の親友が東京駅の地下街で相手をしてくれた。

 できなかったこともたくさんある。日帰りで済む範囲にしか取材に行けなくなり、大型企画の取材班からは必然的に外れた。今でも宿直当番に入れず、同僚たちに負担をかけている。

 こんな対処法でよかったのかどうか、わからない。無理もあったと思う。しかし、取材して書く仕事を続けていなければ、自分のメンタルがもたなかった気がする。

何度も入退院

 介護離職が頭をよぎったが、それでは生活できない。やむを得ないときは妻に入院してもらうことにした。

 最初に心療内科を受診した07年5月から現在まで、入院は約40回におよぶ。大半が精神科病院だ。彼女自ら入院を望んだことはめったにない。ほとんどは、家族の同意で入院する「医療保護入院」制度を利用した。

 自傷行為が続くとき、「受診だけでも」となだめて病院に連れて行く。診察室で主治医とともに説得する。泣き叫ぶ彼女を看護師3人がかりで押さえつけ、閉鎖病棟に連れて行ったこともある。

 入院中は原則、4~6人部屋で過ごす。主治医の許可が出るまで外出できない。携帯電話は持ち込めず、公衆電話と手紙だけが連絡手段だ。

 危険な行為をしたり、点滴を引き抜いたりする恐れがあると判断されれば、施錠された保護室への「隔離」や両手足をベッドにくくりつける「身体拘束」という行動制限を受けた。

 妻が入った保護室は、6畳ほどのコンクリート張りだった。ベッドとトイレしかない部屋に、一人きり。トイレの仕切りがなく、便器のそばで食事をとらなければならなかった。

 保護室で面会すると、妻は悲しげな目で見つめてきた。「あなたが『出せ』って言えば、ここから出られるのに」。その言葉に、胸が痛んだ。

 正直に告白すれば、私は妻の入院でやっと一息つくことができた。とたんに食欲が増し、行きつけの店で肉料理を味わった。夜は久しぶりに熟睡した。このときとばかりに同僚を飲みに誘った。

 しかし、そんなときにふと、病棟にいる妻が頭に浮かぶ。罪悪感を感じた。

 日本は先進国の中で、精神科の病床数が飛び抜けて多い。OECD経済協力開発機構)の統計によると、人口千人あたりの精神病床数が、日本は2・7。OECD加盟国平均の0・7と比べると4倍近い(「OECD Health Statistics 2017」から、病床数は2015年または至近年)。

 こうした状況が「社会的入院」を増やす一因になっている。社会的入院とは、医学的に入院の必要がなく、在宅での療養が可能にもかかわらず、病院で生活をしている状態のことだ。

 社会的入院の背後には、疲れ果てた家族の姿がある。厳しい状況におかれた家族は「いかにして入院させるか」ということで頭がいっぱいになり、当事者のつらさを思いやるゆとりを失いがちだ。精神障害者が病棟を出て地域で暮らせる社会をつくるために、当事者と家族への適切なサポートが欲しい。

 妻が入退院を繰り返すようになって2年ほどが過ぎた。気がつくと、妻は新たな魔物にとりつかれていた。アルコールという魔物だ。

 続きます!!!


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by tomoyoshikatsu | 2018-04-28 17:28 | 呟き と 嘆き | Trackback | Comments(0)