ノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)。団体の特徴の一つは、35歳の事務局長を筆頭としたメンバーの若さだ。被爆地・長崎にも、ICANでインターンを経験し、世界を動かす活動を間近で目にした若者がいる。
10月6日夕。長崎大学文教キャンパス(長崎市)の図書館で資格試験の勉強をしていた、多文化社会学部4年の竹田穣(じょう)さん(21)のスマートフォンの通知が何度も鳴った。
「何だろう」。メールを確認して、驚いた。ノーベル平和賞の受賞を知り、喜びあうICANのメンバーたちのやりとりだった。
1年間のドイツ留学を終えた直後の今年6月から約2カ月間、竹田さんはICANでインターンを経験した。ソーシャルメディアの活用に力を入れるICANで、竹田さんは豪州などを拠点にツイッターでの日本語発信などを任された。
7月には米ニューヨークの国連本部を訪れ、核兵器禁止条約が採択された会議を傍聴した。核兵器の廃絶をめざす世界の動きを肌で感じた。
熊本県出身。国際交流に関心を持って長崎大へ進んだ。2年生のとき、大学などが募集した核軍縮を学ぶ「ナガサキ・ユース代表団」に参加。2015年にニューヨークで核不拡散条約(NPT)再検討会議を傍聴し、ICANの活動を目にした。
仲間たちと事前学習などの準備を重ねて臨んだ再検討会議だったが、実際に見ると「少しテンションが下がった」。日本や核保有国は「核廃絶に向けて努力している」と言うものの、具体的な発言はなく、「核兵器をゼロにする気はないんだな」と感じたからだ。
一方で、若いメンバーを中心に核問題の分析に取り組むICANは、核兵器廃絶という目標がしっかりしていて、提言も具体的だと思った。
インターンでとりわけ印象的だったのは、その草の根的な活動。核禁条約が採択される前日、メンバーは各国の代表に、条約への賛成を呼びかける電話をかけ、竹田さんも手伝った。
採択後も、賛成していない政府の国会議員へ働きかけるなど、協力者を増やす活動を続けている。だから今回の受賞は「 地道なことでも、腐らず続けた結果 」と納得した。
授賞式には、ICANが「条約の土台となった」という被爆者が招かれた。竹田さんは被爆者の証言を聴いたとき、「次の世代に同じ経験をさせたくないからと、つらい思いをしながら話してくれている。『怖い』と思うだけでは失礼」と感じていた。
ICANでの活動を経験し、「国レベルの問題だから自分には何もできない」と考えるのはもったいないと思うようになった。
「『悲惨だな』で終わらせず、その先に一歩できることがあるはずだ」
小さなことでも、ネットで検索したり、友達と話したりすることはできる。国同士の関係が悪化することで市民の仲まで悪くなることは防ぎたい。そんな思いから、将来は外交に携わる仕事をめざしている。(田部愛)
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