フィギュアスケート女子のバンクーバー・オリンピック銀メダルの浅田真央( 26、中京大 )が4月10日、自身のブログで現役引退を表明した。
浅田は「 突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました 」と報告。「 去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました 」と述べた。
さらに、「 このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。
この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました 」と感謝の言葉を綴った。
2大会連続出場したソチ・オリンピックで6位に終わり、約1年の休養を経て昨季に復帰したが、今季は全日本選手権で自己最低の12位に終わるなど、かつての輝きを取り戻すことができなかった。
↓ ↓ 13:00貼りつけ、そのままだと 削除されますので
athlete ……… ATHLETE!の 「 引退 」( 引き際 )(⌒-⌒; ) ………
難しいですよね!!!
「 長嶋茂雄 引退 」報道は シーズン前から ……… 流れていた、、、、
“ その日 ” は 昭和 49年10月14日!!!
泣きじゃくりました!!!
いつの日か、、、やって来るんですよねぇ!!!
私は…… もう少し 早く表明すると思ってましたよ、「 フィギュア スケート 」の ルール!技!等 わかりません、、、
しかし……… だから!!! 「 若い時 」( この歳でも “ 若い ” んですよ )に 比べると、、、、切れ!を感じられなく思ていた、、、
日本に限らず【 世界 】は 14~18歳、、、20歳を超えると、、、衰えを 報じる mass media …………
本人が一番 「 判っている 」し『 解ってもいる 』!!!
騒ぎ立てることは無い!
人生の終演!ではないのだから………
自分の果たせなかった、、、、、
【 Olympic goldmedal 】、、、、
指導者となって 二人三脚で 獲得してくれる事を願いましょう………
↑↑11日05:10 記!↑↑
今日はこれのみ
もう一つ、、、「 平昌 五輪 」reporter するのなら NHKで 願いたいですね!!!
タレント稼業は 推しません!
若い( 小・中学生 )世代を 指導してほしいと思ってますよ!!!
5年後も「 アジア圏 」北京ですからねぇ
一部、平昌枠の「 一 減 」も 引退の、、、、と 流れてますけどね、、、
5年後の「 枠 」を 取り戻すには 底辺の拡大とレベルアップ!
世界は「 ティーンエイジャー 」で埋め尽くされる「 フィギュア スケート 」ですよねぇ〜 ???
平昌冬季パラリンピック開幕まであと1年を切った。今回は昨夏のリオデジャネイロ大会に続き、スノーボードで冬の出場も狙うパラアスリートに、タレントで日本財団パラリンピックサポートセンター顧問のマツコ・デラックスさんが迫った。なぜそんなに欲張りなの?(構成・榊原一生 写真・竹花徹朗)
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マツコ(以下、マ) あれ、いつも半ズボンなの?
山本(以下、山) いえ、これは僕の「正装」なんです。長ズボンだとめくらないと義足アスリートだと分かってもらえませんよね。去年からあえて義足を見せるようにしています。
マ おしゃれ。その機械みたいな感じが格好いいわ。でも、反対側の鍛えられた足も格好いいわね。
山 この右足もそうですが、失った左足の機能を体全体で補うため体の色々な部位をバランスよく鍛えています。使える筋肉をつけることが大事ですから。
マ 今度はその肉体を使って、冬のパラリンピックに挑戦するんですって?
山 はい。昨夏のパラリンピックでは陸上の男子走り幅跳びで「銀」、400メートルリレーで「銅」を獲得しました。元々ワクワク、ドキドキするのが好き。4年に1度ではなくて、もっとたくさんの緊張感を味わいたいと思ったんです。
マ でもこれは何かに導かれたんだと思う。私は物書きからテレビに出るようになったけど、別に望んだ世界じゃない。流れに身を任せていたらこうなっただけ。女装をして何かをやっていたら、それを評価してくれる人がいた。それなら本気でやろうと思ったの。
山 導かれたんですね。
マ 一番脂がのっている時期に冬にも導かれたあなたは運がいいわ。でも、なぜスノーボードだったの?
山 高校2年のバイク事故で左足を切断する前から、冬スポーツはやっていました。小学生の時はスキー、中学でスノボを始め、家族で毎年のようにスキー場に行くのが恒例でした。
マ 元々やってたんだ。
山 厳しい部活のバレーボールより楽しくて、足の手術を執刀した先生に「(義足で)スノボはできる?」と聞いたぐらいですから。ソチ大会でパラスノーボードが正式種目となったことで、競技への思いが徐々にわいてきたんです。
マ 初めて義足で滑ったときはどうだった?
山 義足が外れて下まで滑るのに丸一日がかり。その後、陸上を本格的にやろうと21歳で大阪体育大に入学した時にやめました。雪上のけがで陸上ができなくなれば、進学させてくれた両親に迷惑を掛けると思ったから。今年は滑ってみてすぐに勘を取り戻すことができ、2月の試合では優勝することができました。
マ すごいわ。こうしてパラアスリートと接していると人生の時間をもっと大事に生きようという気にさせてくれる。グッと来るメッセージを感じるのよ。
山 というと?
マ 私はすごく共鳴するの。パラ選手はみんな障害があって、苦しい思いをしてきた人も多いはず。スポーツと出会いそれを乗り越えてきた姿というのは、健常者のエリートスポーツ選手よりもたくさんの人の心に刺さりやすいと思うの。だって、挫折のない人なんていないんだもの。山本選手に比べたら小さいものだけど、私もそう。だから共鳴し、心が動かされてしまう。
山 パラ選手にはそれぞれ挫折がある。足をなくした僕は、義肢装具士の専門学校に通っていた時に陸上と出会い、自分の居場所を見つけられたことで乗り越えることができた。それは今では強みなんです。
マ 山本選手のような目立つ選手が冬競技にも挑戦して盛り上げるのは素晴らしいことよ。五輪ではスピードスケートの橋本聖子さんが夏は自転車に挑んで、マイナーだった女子自転車競技に注目が集まった。聖子さんと同じように頑張って欲しいわ。
山 夏冬のパラリンピックでメダルを取った日本の男子はいない。挑戦です。
マ 山本選手なら出来そうよ。パラの象徴になって障害者のイメージをガラッと変えちゃって。
山 頑張ります。
マ すごい時代がきたな、って思わせてよ。
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(やまもと・あつし) 1982年生まれ、静岡県出身。17歳の時にバイク事故で左太ももから下を切断。陸上男子走り幅跳びで北京、リオでいずれも「銀」を獲得。スズキ浜松AC所属。