55年前、アメリカ陸軍がベトナム南部の広範な地域に、枯葉剤( エージェント・オレンジ )として知られる有毒な除草剤を何百万リットルも使って散布を開始した。
しかし、現在のベトナムは、アメリカを恨んだり、隔絶したりするのではなく、親米感情であふれかえっている。
かつて、アメリカの支援下にあった南ベトナム共和国の首都サイゴンは、ベトナム社会主義共和国最大の都市ホーチミンとなり、現在ではマクドナルドやスターバックスが進出している。
ベトナム経済の中心地となったこの都市には、Appleストアも増えている。ベトナム人の顧客はiPhoneの最新モデルの発売を心待ちにしているし、市民の多くがiPhoneを洗練された欧米化の象徴と考えている。
人口9000万のうち、ベトナム戦争が終結した1975年以降に生まれた人が大きな割合を占めるようになり、彼らはアメリカとの苦い過去にこだわるのではなく、未来志向になっている。
しかし、欧米化が進み、巨大バイオテクノロジー会社のモンサントのような企業が進出するにつれ、何十万人もの死傷者を生んだといわれる枯葉剤の歴史を葬り去ってしまうおそれがある。
現在に至るまで、枯葉剤へのモンサントの関与について見解は大きく異なる。アメリカとモンサントは、枯葉剤がアメリカ政府の依頼で製造されたことを示す声明を発表している。
そのため、モンサント社は直接的な責任がないと主張している。ベトナム政府の見解はより複雑で、個別の加害責任には一切言及せず、その代わり、アメリカに加害責任の全体を問い、被害者の補償を求めている。
モンサントのベトナムへの関与は、半世紀以上前に遡る。モンサントは、アメリカ軍からベトコン( 南ベトナム解放民族戦線 )が潜伏するジャングルを枯死させ、農耕地を壊滅させるための枯葉剤の製造を委託された。
モンサントは、ベトナム戦争中に枯葉剤を供給した数社のひとつだ。1961年から71年までの間、アメリカ陸軍は、猛毒のダイオキシンを含む枯葉剤約1200万ガロン( 約4万5000キロリットル )をベトナム南部の広範囲に散布した。
アメリカとベトナムの国交正常化( 1995年7月12日 )から2年後の1997年、ベトナムは二国間協議で枯葉剤の問題を提起しはじめた。
ベトナム共産党中央委員会書記長ドー・ムオイはアメリカ財務長官ロバート・ルービンに、両国が協調して枯葉剤の問題解決に取り組むことを希望すると伝えた。
これは、ベトナム政府が外交上で枯葉剤に関してとる公的立場だ。
国民向けには、2004年にNGO「 ベトナム枯葉剤被害者協会 」が、モンサントをはじめとする枯葉剤のメーカーに対してニューヨークの裁判所に集団訴訟を起こした。
この訴訟は、ベトナムがモンサントなどの化学メーカーに対して起こした唯一の訴訟だったが、裁判所に棄却された。
また現在のモンサントは、社名以外は枯葉剤の開発を支援した当時のモンサントとは違う企業だという理由で、枯葉剤製造に対する責任がないと主張している。