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戦後70年 …… 在日韓国………???


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洪里奈(ホンリナ)さん。コリアNGOセンターで日韓イベントなどに携わる28歳の
在日コリアン3世。夫の姜豪峰(カンホボン)さんと大阪で暮らす

日韓の国交が正常化してから50年の節目の年でしたが、産経新聞前ソウル支局長の裁判などのニュースが流れるたび、地道に草の根の交流を続ける人たちの努力が踏みにじられるような気がしました。

 ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)もそう。この夏も東大阪の駅前で見かけました。大人が「在日韓国・朝鮮人の皆さん、本国に帰ってください」と冷静な口調で繰り返していました。何より怖かったのは、多くの人が何事も起きていないかのようにヘイトスピーチの現場を通り過ぎていったことです。

 講師をしている民族学級の子どもも見たらしくて、「先生、悔しい」と言っていました。「日本のみんなが言うてるんじゃないで」って言いましたが、無関心な人の姿を思い出すと今も怖い。私自身すごくしんどく、ストレスで甘い物を食べることが増えました。

 私は小中高校に通っている間、通名の日本名を名乗っていました。「特別視されたくない」とおそれていました。小学高学年だった1998年、北朝鮮が長距離弾道ミサイルを発射し、私が在日だと知る男児から「テポドンテポドン」とからかわれました。

 立命館大学に進学後も通名でしたが、自分のルーツのことは気になり、在日の学生団体が主催する講演会を隅っこで聞いたりしていました。冬休みには、戦争中の「朝鮮人強制連行」の歴史を学ぶ北海道でのワークショップに参加し、私を在日として受け入れてくれる大勢の仲間に出会いました。

 大きな転機は大学3年の時、同居していた祖母との突然の別れです。敗戦前、日本に渡ってきた在日1世の祖母ですが、文字も、数字も書けませんでした。家ではずっと「ハンメ(おばあちゃん)」って呼んでいたので、本当の名前を葬式で初めて知ったんです。

 在日朝鮮人として、女として、ずっと抑圧され、文字も奪われたまま生涯を終えた祖母を見て、「私がハンメが奪われてきた言葉を取り戻さなあかん」って思ったんです。本名の「洪里奈(ホンリナ)」を日常的に使うようになったのも、この頃からでした。

 大学を卒業し、2011年の春に韓国に渡り、3年余りソウル郊外の大学院に通いながら、韓国に暮らす被爆者や元日本軍慰安婦の集会にも参加しました。そんな中、韓国で生まれ育った姜豪峰(カンホボン)さん(27)と親しくなりました。在日への関心があり、共感できる部分も多く、昨年に結婚し、翌月に大阪に来ました。夫も民族学級の講師をしています。

 今年9月、北海道の寺院にある115体分の朝鮮人の遺骨を日韓の市民の手で韓国に里帰りさせる「奉還事業」に2人で参加しました。旧陸軍の飛行場やダム建設現場に動員され、過酷な労働と寒さで命を奪われた犠牲者の遺骨です。日韓の市民の手で発掘された遺骨もあります。夫は「冷たい土の中にずっと遺骨が埋まっていたこと自体、ゆがんだ両国の関係を象徴している」と言います。私も同感です。

 夫は北海道からソウルまでの「里帰り」に同行し、私は大阪市の寺院での法要を手伝いました。木箱に納まった遺骨を見て「日本に来る時、異郷で死ぬ時、どんな思いやったんやろう」って想像しました。ふと、祖母のことも思い出しました。「ハンメは海を渡って来る時、どんな思いやったんやろう。なんで日本で死んだんやろう」って。

 「嫌韓本」やヘイトスピーチに触れると、「日本社会で『在日』はますますタブー視される。生きるのはどんどんしんどくなる」と思う時もあります。でも、日韓の市民の協力で遺骨の「里帰り」が実現した。政治解決を待っていたら、いつになるか分からない。市民の手でできることを着実にやるしかありません。

アサヒデジタルより!!!


国交の有無、宗教の違い、言語、人種、…………………

………… e t c ………………

これらが 【 国際紛争 】を 引き起こし ………… 20世紀末 ……!!!!????

もう ……… 死語?? ……『 部落 …… 』!

人類は 太古の昔から ……… 「 戦 」を 繰り返し …… くりかえし ………

………… 今日に至っている!!!!、 ………………


我々の 行く先は ??!!


by tomoyoshikatsu | 2015-12-30 15:00 | 呟き