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改憲……天皇の護憲発言









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憲法を考える~揺れる価値

 「非国民」「国民なめんな」「国民民主党」「国民の敵?」……。近頃、国民は忙しい。しかし「国民」はそれほど自明だろうか。明治憲法では登場もせず、日本国憲法でようやく書き込まれた存在でもある。「国民的熱狂」が渦巻くだろう東京五輪を前に考えた。(木村司)

 4月末、韓国・ソウル駅近くの「孫基禎(ソンキジョン)記念館」。オリンピックの花形、マラソンの日本男子唯一の金メダルは、展示ケースの中で輝きを放っていた。

 1936年8月、ヒトラーが国威発揚に利用したベルリン五輪。植民地下で「日本人」だった孫基禎選手(1912~2002)が獲得したものだ。2時間29分19秒の五輪新。

 当時の新聞は興奮気味に伝えている。「マラソン日本世界を征服」(読売)「日の丸の旗が二本スルスルと上った、何といふ感激」(朝日)――。

ただ、記念館にその歓喜はない。目を引くのは、表彰台でうつむく孫選手の写真。勝利の2日後、友人に送ったはがきには「かなしい!!?」とだけ書かれていた。記念館を運営する孫の李埈承(イジュンスン)さん(51)は言う。「植民地支配は個人が一番喜ぶ瞬間さえ、悲しいものに変えてしまった」

ログイン前の続き 「事件」は続いた。東亜日報は、孫選手の胸の日の丸をぼかして掲載。記者は逮捕され、無期限の発行停止処分となった。民族主義運動の高まりを恐れ、孫選手には特別高等警察(特高)の監視がつく。

 「厳秘」とある「特高外事月報」(内務省警保局保安課、36年10月分)が記す。「警視庁に於(おい)ては朝鮮人のみの歓迎会等は一切認めざる方針を採り」「厳重取締を加へ凡(あら)ゆる不穏策動を阻止せり」

 1910年、日韓併合。2年後、孫選手は朝鮮半島北部で生まれた。45年に敗戦した日本の国土は、一気にしぼむ。47年、勅令で朝鮮人らは「外国人とみなす」。その翌日の5月3日に施行された日本国憲法で、明治憲法の「臣民」に代わって「国民」が登場した。

     ◇

 48年に韓国・北朝鮮が建国。38度線をはさみ、孫選手を含め多くの家族が離散。50年、朝鮮戦争が始まる。52年、サンフランシスコ講和条約で日本独立、植民地出身者は日本国籍を喪失――。

 アスリートとして頂点に立った孫選手は、日本代表として脚光を浴び、日本の独立によって排除された。日本は今も、孫選手の金メダルを、歴代五輪で得た156個の一つと数える。

 孫選手は李さんにこう言い残した。「私は『克日』(日本に打ち勝つ)の時代を生きたが、君は『親日』を生きなさい」。孫選手の母校・明治大に長男も進学した。その娘は日本で生まれ育ち、いま神奈川県に住む。その息子は日韓双方の国籍を持つ。

 改めて言うまでもないが、日本も、日本国民も、単色ではない。けっこう、グラデーションだ。

 「東京五輪を心待ちにしている日本中の人たちに、孫選手の人生を知ってほしい。彼の人生は私たちに国家とは何か、国民とは何かを問いかけている」。在日3世の芥川賞作家、柳美里(ユウミリ)さん(49)はそう語る。柳さんの祖父も、40年に予定され、中止となった「幻の東京五輪」への出場が有力視される半島出身のランナーだった。

 柳さんは今、福島県南相馬市で暮らす。東京電力福島第一原発から20キロ圏内でラインが引かれ、一時立ち入り禁止となっていた旧警戒区域だ。事故直後から福島に通い、15年に移住。ラジオのパーソナリティーとして住民の声に耳を傾けてきた。

 柳さんにとって被災者の姿は、朝鮮戦争によって故郷を追われ、今も分断されたままの故郷を持つ「在日」の自分と重なった。その被災者たちからはこう聞いたという。

 「私たちは『避難した』のではない。『難民』だった」「国に捨てられた」

 柳さんは「国家からはじかれる存在」に改めて気づいた。復興の途上にある飲食店主は、首都圏が中心の五輪特需で資材が高騰したため、店をたて直せなくなり、「再開は五輪後に先送りする」と話したという。

     ◇

 2020年の東京五輪は、国を挙げての「復興五輪」とも位置づけられている。倒錯した現実は、国民的な歓喜や熱狂が高まるほど振り向かれにくくなり、水を差すような話題を持ち出せば「非国民」と呼ばれてしまうかもしれない。

 国会前で先日、政府の政策を批判してきた国会議員が、幹部自衛官から暴言を受けた。自衛官は否定しているが、「お前は国民の敵だ」。そうした言葉が吐かれるときの国民とは、誰を指すのだろうか。

 一丸となればなるほど、見えなくなるもの、切り捨てられるものがある。「一億一心」「一億玉砕」の戦前の歴史が物語るように、情緒も絡めて一丸を利用する人たちもいる。

 「基本的人権」「個人の尊重」といった条文も含め、日本国憲法は「国民」を多用する。そこに込められた価値観は、もっと一人ひとりの自由な生き方を尊び、広く柔らかいはずだ。英訳はもっぱら「the people」。人びと、とも読める。私にはこの方がしっくりとくる。

「臣民」と「国民」

大日本帝国憲法(明治憲法)】

憲法発布勅語:朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ(略)現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス

第20条:日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス

第29条:日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス

日本国憲法

前文:日本国民は(略)政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する

第11条:国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない

第13条:すべて国民は、個人として尊重される








貼り付けのみです…………


by tomoyoshikatsu | 2018-05-06 06:10 | 政治