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義眼の少年 「 支援学校 」


コチラを

30…半ばの時「 右義眼 」の 人と何度か呑んだことがあります





手足などに障がいのある子どもたちのための県内唯一の学校、盛岡となん支援学校が17日、移転先の矢巾町の校舎で授業を再開した。障がい児向けの医療福祉施設との連携を深め、子どもたちへの支援体制を充実させた。児童、生徒らはピカピカの新校舎に初めて登校し、元気に授業を受けた。

 同校の児童・生徒数は小学・中学・高等部で計112人(昨年12月1日現在)。盛岡市手代森の旧校舎が老朽化したのを機に今月4日、移転した。

 以前は道路で隔てられていた県立療育センターと同じ建物内となり、より一体的な運営が可能に。センターに入所・入院している子どもたちも学校に「登校」できるようになった。

 センターは外来部門にリハビリテーション科など3科を新設。重症の心身障がい児に対応した病床も整備した。来年9月には、同じ敷地内に岩手医科大付属病院が移転してくる予定で、子どもたちへのケアのさらなる充実が期待される。

 小学部の4年2組では、朝の会で児童3人が絵日記に描いた冬休みの思い出を発表した後、廊下に掲示した。画びょうを使わないよう、壁は磁石が使えるようになっている。

 佐々木華鈴(かりん)さん(10)は「教室がピカピカでびっくりしたけど、これから楽しみ」とうれしそう。清水利幸校長は「様々な仲間と触れ合えることは、我々が考える以上に子どもたちにとって喜びであり、刺激も大きい」と新校舎がもたらす効果に期待を込めた。

アサデジ岩手版より

時々 ドラマでみかけますよね???

「 小児病棟 」から 〈 教室 〉へ通うシーン・・・

しかし

子供達の病名は ……………


私がいた施設は、病院と「 分校 」( 開設当時 )でした

記憶に間違いなければ

昭和・40年 に「 療育園 」となり

分校から「 養護学校 」に なったと 聞いた記憶があります


未就学児( 3歳から )18歳迄 150人前後が いました

脳性麻痺!ポリオ( 脊髄生小児麻痺 )等 地域受入が困難な児童( てんかん、補装具装着)の 手術・リハビリ 指導


私は 2年生で「 本校 」から 移り、中2迄 6年間 治療と学び舎にいたことになります

月二回・回診がありました( 月曜日 )

この日は「 早退 」出来たので 待ち遠しかったですよ( 別棟の児童は 勉強ですかね )


ベッドに「 カルテ 」〈 レントゲン 〉を ナースが 回診が始まる前に 置いて回ってました

小学生のアタマでは 理解出来ない「 医学用語 」が 書かれてますから

私達が開いているのを見かけても 叱られる事はありませんでした

読めなくても!ドクターとナースの 会話は なんとなく 理解できました( そう……なるんですよ )

病名も、、、、!( 意味も、、、)


短期間の指導で 普通校( 本籍地など )へ 転校する児童も少なくなかった

同級生は 1年間で 帰って行きました

一番仲が良かった 男でした、、、( 中2の 一年間 )


この施設から「 本校 」へ 転入する生徒が 半数以上いましたね

つまり………12年間

寝食を共にしたことになります、、、、


by tomoyoshikatsu | 2018-01-21 03:39 | 呟き