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読み違った世論……!?!?

 2002年の小泉純一郎首相(当時)の訪朝で明らかになった拉致問題北朝鮮との交渉に関わってきた福田康夫元首相、竹内行夫・元外務事務次官、超党派の「拉致議連」会長代行を務める自民党古屋圭司・元拉致問題担当相に話を聞いた。



――小泉純一郎元首相の訪朝により5人の生存者を帰国させましたが、世論は必ずしも評価しませんでした。

 「5人を取り戻し、北朝鮮を変質させることに成功した。これはヨーロッパや米国にはできなかったことだ。米国は当時、北東アジアの安全保障環境が変わり、見通せなくなると懸念し、反対していた。日本の国内世論も違った。小泉氏も私も世論を読み違えた」

――当時、北朝鮮との交渉で最も気をつけた点は。

 「北朝鮮に限らず、国と国との深刻な交渉問題は、かなりの信頼関係がないと進まない。北朝鮮は『実行対実行』が行動の基本にあり、日本が信頼できるのかをみていた。北朝鮮のトップが拉致という自らの過ちを認め、謝罪したという「重み」を考えると(帰国した5人を約束通り北朝鮮に戻さなかったことで)首脳間の関係は完全に壊れた。北朝鮮との交渉は、もう一度首脳同士の信頼を紡ぎ直すことからまず始めなければならない」

――北朝鮮は核・ミサイル開発を続け、ミサイルの凍結をうたった日朝平壌宣言はもはや「空文化」したといえませんか。

 「そんなことはない。日朝平壌宣言は、北朝鮮も持っているんです。日朝間の戦前の課題から将来の国交正常化に至る道筋の基本的な原則を定めたものだ。(北朝鮮側と水面下で折衝した外務省の)田中均氏の功績だ。いまも完全に生きている。首脳同士の信頼がもう一度紡ぎ直されたときに必要になる」(倉重奈苗)

     

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 2002年の小泉純一郎首相(当時)の訪朝と日朝平壌宣言の締結に際し、事務方トップとして外務省を指揮した竹内行夫・元最高裁判事が朝日新聞のインタビューに応じた。宣言の文面の作成過程や意義について語った。

 ――小泉首相の訪朝と日朝平壌宣言締結は、どういう経緯で実現したのですか。

 「戦後残された課題として、日朝関係はどこかで処理しなければいけない問題だ。当時、国交正常化の問題を解決し、東アジアの安全保障問題に関する課題も含め、北朝鮮と話し合おうとした。あの時代、ちょうど潮目があった。北朝鮮が初めて世界に対して開こうとしていた。米ブッシュ政権が『悪の枢軸』と名指し。北朝鮮経済はひどい状況だった」

 「首脳会談時、金正日総書記は『小泉首相は勇気ある政治的決断をして訪朝してくれた。豪胆で男らしい政治家だ。決断をして来ていただいた以上、成果をあげましょう』とまで言った。それくらいの気持ちに金総書記はなっていた」

 「訪朝を発表する数日前の2002年8月下旬。平壌宣言の草案を手に、外務省内で総合外交政策局長、北米局長、条約局長を交えて協議した。その場にいたアジア大洋州局長以外は事前に知らなかった。私は『申し訳なかったが、首相から保秘を指示されていた』と言ったうえで、『皆の知恵を借りたい』と呼びかけた」

 「総合外交政策局長は『拉致(との文言)がないですね』と言った。アジア大洋州局長は『事務当局レベルでは書けません』と説明した。北朝鮮の交渉担当者は『拉致の問題は将軍様のお心一つ。首脳会談が実現した際にどうおっしゃるか、自分たちは想像することを許されていない』と日本側に伝えていた」

 「小泉首相に『拉致は行ってみないとわかりません。それでも総理は行きますか』と聞くと、首相は『日朝間の懸案も安全保障の問題も得るものが大きい。かけてみよう』と決断した」

 ――「5人生存、8人死亡」という情報はいつ日本側に伝えられたのですか。

 「小泉首相が訪朝した17日の午前中だ。それ以前は本当にわからなかった。平壌で伝えられ、午前と午後の会談の間に、首相が『ここで席を立って帰っても、5人は帰らない。何もならない。ここは耐えていま得たものを土台にして、次をやろうじゃないか』とおっしゃったと、私は現地組から報告を受けた」

 ――日朝平壌宣言の意義はどこにありますか。

 「日本と北朝鮮の二国間の戦前からの課題、戦後の拉致問題を含めた様々な問題の処理を掲げるとともに、国際社会が関与しなければならない核・ミサイルなど安全保障の問題を将来の課題としてとらえ、望ましい方向付けのための基本原則を策定したことに歴史的意義があった。いまは問題が深刻化しているが、原則はここに記されている」(松井望美)

     


 拉致被害者らの再調査で合意した2014年の「ストックホルム合意」当時の拉致問題担当相で、超党派の「拉致議連」会長代行を務める古屋圭司・衆院議員(自民)に、事態打開に向けた考えを聞いた。

 ――第1回日朝首脳会談から15年です。

 「まず、まだこの時点でもその後の進展がないことに、心からおわびを申し上げなくてはいけない」

 ――北朝鮮が核・ミサイル開発を加速し、国際社会で圧力を強化する中、どこに拉致問題の解決の糸口を見いだせるでしょうか。

 「今だからこそ、逆に拉致問題を解決するチャンスがある。北朝鮮は過去に、厳しく圧力をかけると少しずつ譲歩のために小出しにしてきた歴史的な経緯がある。これは変わらないと思っている。だから、対話と圧力という基本的な考え方は全く変わっていない」

 「私はこの数年間、(北朝鮮に拉致された疑いがある米国人)デービッド・スネドン氏の問題に取り組んできた。拉致は究極の人権侵害であり、米国が拉致を核・ミサイルと一緒に土俵に乗せていくよう、米国の世論を喚起していく」

 ――14年の「ストックホルム合意」には拉致被害者のほか、日本人遺骨問題や残留日本人などの調査も盛り込まれた。当時、拉致問題担当相として合意に慎重な姿勢を示していました。

 「文書の細かい中身でいくつか違う点もあるんじゃないかと。拉致問題が他の項目と並列になって薄められてしまうんじゃないかと。安倍総理にしっかり主張した。でも最終的に総理は『チャレンジだ』と言った。総理は全て分かったうえでチャレンジをした」

 ――北朝鮮は16年、日本の独自制裁に反発し、再調査を担う特別調査委員会を一方的に解体しました。

 「ストックホルム合意が失敗か成功か(の結論)を出すのはまだ早い。色々な取り組みはしている。だが、まだ成果には至っていない」

 ――高齢化する拉致被害者家族の中には、制裁を緩和して対話をした方が良いという意見もあります。

 「これだけ時間が経ち、家族の皆さまのお気持ちは痛いほど分かる。でも安易に対話に入るということは、歴史の教訓で成功したためしがない。政府と党を信頼し続けてほしい」(清宮涼)

アサデジより転写!!!


by tomoyoshikatsu | 2017-09-19 14:14 | 呟き