小倉の…… 毒ガス工場

朽ちゆく旧毒ガス工場、80年の時を超えて 小倉駐屯地


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冷却棟の近くに立つ排気筒

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毒ガス工場として使われた建物。冷却棟(右奥)、排気筒(右手前)、作業場(左)などが並ぶ
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青酸などを砲弾に充塡していたとされる棟の内部

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青酸などの冷却・液化をした冷却棟。他の建物と比べて窓が小さい

 ツタのからまった円柱、白壁をくりぬいたような窓枠……。陸上自衛隊小倉駐屯地の曽根訓練場(北九州小倉南区)に、旧陸軍の毒ガス工場跡が残る。造られてから80年。朽ちていく戦争遺跡を訪れた。

 8月28日、駐屯地の許可を得て訓練場に入った。

 「旧軍施設なので我々が提供できる情報はありません」。駐屯地から事前にそう伝えられていたため、北九州市の郷土史家で、10代の頃から地元の旧軍施設を調べてきた菊池満さん(36)に同行してもらった。20年前にも工場跡を見学したことがあるという。

 17ヘクタールある訓練場の一画に6棟の建物と円柱の排気筒4基が残っていた。旧軍の資料などによると、正式名は東京第二陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)曽根製造所。瀬戸内海の大久野島(広島県)で造られた毒ガスが運ばれ、ここで砲弾に詰めた。

 崩壊の危険があり、内部には入れない。壁のあちこちにひびが入り、柱や天井の一部が崩れて鉄骨がのぞく。「だいぶ古くなりましたね」と菊池さんが言うと、駐屯地の広報官も「年々朽ちている印象です」と応じた。

 菊池さんは高校生の時、工場で働いていた作業員や監督、事務員ら4人の男性に話を聞いた。体の異常を感じたらすぐ工場内の診療所に行くよう指示され、ガス漏れを察知するため、各棟にジュウシマツなどを入れた鳥かごがあった、と語ったという。みな肺か気管支を患っていた。

 当時80代の1人は菊池さんにこう言った。「50年後、自分は死んでいるが、あんたは生きている。工場のことを伝えてほしい」

 4人は既に亡く、工場跡は風化の一途をたどる。「保存は難しいでしょう。この20年でさらに戦争が遠くなった」と菊池さん。昨年度まで非常勤講師を務めた大学などで、若い世代に戦時の話をしてきた。

 駐屯地を出ると田畑や住宅地が広がっていた。今まで別の空間に迷い込んでいたような心持ちになる。駐屯地は訓練場の安全確保や有効利用のため、建物の取り壊しを九州防衛局に要望しているという。(奥村智司)

     ◇

 《旧陸軍の曽根製造所》 旧陸軍の曽根製造所 環境省の調査などによると、1937(昭和12)年に開設。翌年から広島県・大久野島の忠海(ただのうみ)製造所で製造された毒ガスを砲弾に充塡(じゅうてん)する作業が行われた。イペリットなどを用いた肌がただれる「きい弾」や、嘔吐(おうと)性の「あか弾」など約160万発を製造したという。輸送ルートは不明だが、多くは中国戦線に配備され、遺棄されたとみられる。通常の砲弾も造られ、最多で約千人が働いていた。建物などは現在、九州防衛局が所有、管理している。製造所跡に近い苅田港の海底に投棄された毒ガス弾が2968発見つかり、2001年度から13年度にかけて国が回収、処理した。

アサデジより!!!

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by tomoyoshikatsu | 2017-09-11 11:24 | 呟き | Trackback | Comments(0)