原爆体験語り継ぐ「被爆3世」 家族の写真展、長崎で
被爆3世を中心とした家族写真の撮影を続けている広島市の写真家、堂畝(どううね)紘子さん(35)がこの夏、初めて長崎県で作品を展示している。グループで開く合同展覧会のタイトルは「生きて、繫いで 被爆三世―これからの私たちは―」。被爆者から直接体験が聞ける最後の世代として被爆3世に焦点をあて、「これからの世代へどう伝えるか、考えるきっかけになれば」との願いを込める。
「何歳から被爆体験を聞いていましたか」。5月中旬、長崎市滑石6丁目の滑石大神宮で、堂畝さんはカメラを構えながら話しかけた。レンズの先には14歳で被爆した調朝子(しらべちょうこ)さん(86)、孫の英治さん(31)と妻の理奈さん(27)、ひ孫の大和(やまと)ちゃん(8カ月)らがいた。幼い頃から朝子さんの被爆体験を聞いてきたという英治さんが「大和が物心つくまで、あと10年くらい元気でおっとかんば」と語りかけると、朝子さんもほほえんだ。
撮影では、それぞれの家族に思い入れのある場所を選んでもらう。今回は朝子さんが家族と疎開した地域で、外科医だった父来助(らいすけ)さんは滑石大神宮で被爆後の救護にあたった。
広島市出身の堂畝さんは、子どもの頃から平和教育を受ける中で「自分にできることは何だろう」と問い続けてきた。学生の頃は広島で開かれる平和記念式典のボランティアに加わったが、「私でなくてもいいのかもしれない」と思うこともあった。
高校卒業と同時に写真を始め、東京で写真のアシスタントなどをした後、広島に戻って開業。写真で平和を意識した取り組みができないかと考える一方で、「復興した街で何が写せるのか」と悩んだ。
被爆3世の高校時代の友人に悩みを打ち明けると、「私と家族をとってみない?」。これがきっかけで2015年から撮影を開始。広島と長崎で約60組を写すなかで、被爆3世は1世の被爆体験を直接聞き、次の世代につなぐことができる最後の世代だと気づいた。
「被爆2世」ほど浸透していない「被爆3世」という言葉。結婚差別などを経験した被爆2世から「子どもたちに肩書を付けるのをやめて欲しい」と言われることもあったという。
しかし、堂畝さんは「前向きに受け入れて欲しい」との思いを込めて「3世」を使う。撮影時に初めて祖父母の被爆体験を聞く人がいる。語り部をしていない被爆者の話が、孫だから聞けることもある。
合同展は長崎市松が枝町のナガサキピースミュージアムで9月3日まで。堂畝さん撮影の家族写真13点のほか、被爆3世のグラフィックデザイナーの絵本などを展示。広島と長崎で二重被爆した山口彊(つとむ)さん(2010年に93歳で死去)の孫の原田小鈴さんの講演と紙芝居もある。(田部愛)