「 広島 」、、、あの日へ………


 あの朝と同じような強い日差しが照りつけた。広島市で37.0度となるなど各地で今年一番の暑さを記録。人々は何を祈り、願い、どう過ごしたのか。県内各地の1日を追った。(地名がない場所は広島市内)

 00:00  被爆から72年。「あの日」が始まった。平和記念資料館内にある地球平和監視時計は、原爆投下からの日数「26298」を表示。最後の核実験からの日数は、昨年9月の北朝鮮の核実験から数えて「331」。

 03:15  目が不自由で白杖(はくじょう)をつきながらほぼ毎日、広島市西区から原爆死没者慰霊碑に線香をあげに来るという益本順市さん(76)は、「少しでも静かに手を合わせられるように」と、この日は未明に訪れた。「世界が平和でありますようにと祈りました

 04:00  17歳の時に被爆した広島市安佐北区の岡田昭典さん(89)が、原爆死没者慰霊碑に手を合わせていた。毎年訪れてきたが、「歩くのがつらく、今年が最後になるかもしれません」。被爆直後に、「水くれ、水くれ」と訴える女学生とその母親に、「後で戻る」とうそをついて立ち去った記憶が頭から離れない。「自分のことで精いっぱいだった。今年も彼女たちのことを思ってなんとか来ることができた」

 04:30  徹夜で車を運転し、兵庫県宝塚市から1人で来たという会社員の水野正也さん(46)が、元安川のほとりにある案内板を見つめていた。「1日かけて、この日ここでしかわからないことを感じたい」

 04:55  カープのロゴ入り帽子をかぶって原爆死没者慰霊碑に線香をあげていた広島市佐伯区の不動産業、木元晃さん(77)。被爆者の木元さんは「原爆の犠牲者の方々に、広島の誇りであるカープの好調ぶりを報告に来ました」。

 05:30  府中町の田中さゆりさん(66)は、原爆の子の像に、次女と孫娘(4)の3世代で訪れた。爆心地近くで亡くなった祖母の慰霊に毎年、母と平和記念公園を訪れてきた。その母も2年前に93歳で亡くなった。「今度は私が後の世代につないでいく番」。これからは孫娘と折り鶴を折り、供えていきたいという。

 05:55  広島市南区の新谷芳之さん(86)が「原爆遭難横死者のための慰霊供養塔」に手を合わせていた。爆心地近くで建物疎開の作業にあたっていた兄(当時18)は今も行方不明という。毎年この日は、墓参りと思い訪れる。「また参るからね」と供養塔に声を掛けた。

 06:15  身元のわからない遺骨を納めた「原爆供養塔」の前では毎年この時刻に、広島戦災供養会の主催の原爆死没者慰霊行事が開かれている。神道、キリスト教、仏教の宗教者が順に慰霊。今年初めて遺族代表として献花した広島市南区の伊井貞夫さん(77)は「静かな気持ちで慰霊できた。いろんな宗教があるが、戦争はいけないという気持ちはみんな同じ」。

 06:35  市が募集したボランティアに車いすを押してもらい、平和記念式典に向かう高齢女性の姿があった。広島市安佐南区の若藤コマコさん(90)。「自宅近くから見たキノコ雲が忘れられません。毎年式典で平和を祈っています」と話していた。

 07:10  「冷たいおしぼりはいかがですか」。公園内の通路で高校生2人が声をかけていた。広島市青年連合会のボランティアに応募した高畑アヤさん(16)と大木鈴葉さん(16)。高畑さんはブルガリア在住で、夏休みに母の故郷に帰って来た。「普段広島にいられないので、ちょっとでも平和のために広島の人たちが祈るのを助けたいです」と話していた。

 08:00  JR三原駅近くの慰霊碑前であった式典には約90人が参列。三原市原爆被害者之会の苞山(ほうやま)正男会長(88)は高齢化で会の運営が年々難しくなっていることに触れつつ、「核兵器禁止条約への日本不参加に大きな怒りを感じる」とあいさつ。慰霊碑の死没者名簿に新たに19人が加わることが報告された。

 08:00  福山市の市中央公園で始まった市原爆被害者友の会の慰霊式典には、約50人が参列。平和活動に携わり、式典の司会を務めた盈進高校3年、花本美緒さん(18)は「ご高齢の方が増え、私たちが被爆者の声を聴ける最後の世代。しっかり引き継いでいきたい。私たち世代にも式典への参加を呼びかけたい」。

 08:15  兵庫県西宮市阪神甲子園球場の室内練習場。広陵の選手が一列に並び、広島の方角を向いて1分間黙禱(もくとう)した。ベンチメンバーで外野手の永井克樹君(16)は「今日は忘れてはいけない日。広島のことを思いながら、改めて野球ができることに感謝しました」と話した。

 09:20  今年度は、8月6日の登校日がなくなったが、広島市中区の基町小学校では子ども会主催の「8・6平和のつどい」が開かれた。幟町中に進学した3年生4人が進行役となり、1979年に同校で始まった被爆エノキを守る活動などを紹介。6年生の前田蓮仁(れんじ)さん(12)は「平和のために、異なる国・文化の人を差別しないように、行動でも表していきたい」。

 09:50  広島市中区のハノーバー庭園近くの広場に、美しいコーラスが響き渡った。広島合唱同好会が、合唱曲「鐘よ、平和の鐘よ」を初披露。実行委員長で同市佐伯区の高東博視さん(71)は、「『平和の鐘』は、復興の象徴です。合唱でこの鐘のことを知って、鐘に込められた思いを語り継いでほしい」と話した。

 10:30  新聞・通信社に勤務していて原爆で亡くなった133人の名が刻まれている「原爆犠牲新聞労働者の碑(不戦の碑)」前で、中国新聞労組主催の碑前祭が開かれた。新聞・通信社の支社・総支局長や遺族ら約70人が参列。「戦争に加担せず、惨禍を再び繰り返さない」との誓いを新たにした。

 11:05  「原爆の子の像」前に、中東の教師ら約15人が訪れた。NGO「中東大学プロジェクト」が企画する研修の参加者たちだ。帰国後、広島・長崎で学んだことを自国の学生たちと考えてもらうのが狙い。ヨルダン高校教師イマーン・オマールさん(48)は「被爆者や2世、3世の方々が、涙を流して話す姿が心に刻みつけられた」。

 11:20  アフリカから18人の教育関係者が訪れ、平和記念資料館原爆ドームを見学。ユネスコ国連教育科学文化機関)の教育支援事業の一環。南スーダンから来たヴィクター・ドゥト・チョルさん(38)は「自分も銃弾をくぐり抜けて生き残ったので被爆者の体験にとても共感。ただ広島では、敵国を恨むのではなく核廃絶や平和につなげようとしていてすごい。自分の国でも平和教育をして戦わずにすむようにしたい」。

 12:05  広島市中区にある「紙屋町シャレオ」の西広場で、福井県鯖江市の手鹿華具弥(かぐや)ちゃん(2)が、母親の佳芳里さん(41)と白地のうちわに墨汁と筆で「みんなへいわ」と書いた。佳芳里さんは「この子が被爆すると思っただけで……。本当に原爆は恐ろしいです」。

 15:30  広島国際会議場では広島市内6校の中高生が広島や平和をテーマに制作したアニメーションが上映された。市立基町高校創造表現コースの7人は栗原貞子の「影」という詩を題材に、動植物にとっての1945年8月6日をアニメに。発案した岩谷こころさん(17)は「動物は言葉で伝えられない。人間以外の被害も忘れてはいけないと思って描きました」。

 19:00  尾道市のシネマ尾道で、戦時中の広島を描いたアニメ映画「この世界の片隅に」の上映後に片渕須直監督が舞台あいさつした。数えられないほど現場を歩き、資料を調べたといい、「普通の生活の上を爆弾を積んだB29が飛ぶ。当時はかけ離れたものが同時に存在していた時代だった」と戦争の異常さを語った。



[PR]
トラックバックURL : http://tomo333.exblog.jp/tb/28040120
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by 長崎人 at 2017-08-13 07:24 x
26962日?!ですか…………
永いのか…………まだ!!なのか?
云える事は、この平和な、時間を…日々を………半永久的に伝える事が、いま、生きている人間としての使命です❗役割なんです❗
絶対に、戦争加害者に、戦争被害者に、ならないために❗!!
Commented by tomoyoshikatsu at 2017-08-13 09:00
コメント ありがとうございます

戦争が起きないかぎり その数字は カウント されますね

切らしてはならない!数字にしなければならないですね
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
by tomoyoshikatsu | 2017-08-13 06:07 | 呟き | Trackback | Comments(2)