生駒市の小学2年生、神陽喜(はるき)君(7)は自分の意思で手先を動かせる「筋電義手」を「ぎーちゃん」と名付けている。生まれつき左手首から先がなく、訓練して使いこなせるようになった。夢はパラリンピックの水泳選手だ。
陽喜君が公園で筋電義手の使い方を教えてくれた。義手が腕に触れる部分に二つのセンサーがあり、一方に触れると指がパーに、もう一方に触れるとグーになる。ブランコのくさりもしっかり握ることができた。
母の麻依子さん(34)が妊娠4カ月で受けた検査で、左手がないことがわかった。父の貴人(たかひと)さん(33)は「左手がないだけで陽喜は陽喜やで」と励ました。
陽喜君が幼稚園に通い始めると、悔しいことが起きた。友達とのジャンケンでグーしか出せない。「僕もパーの手になりたい」という思いを両親にぶつけた。
貴人さんは、朝日新聞に載っていた筋電義手の記事を保管していた。2014年、使い方の訓練をする神戸市の兵庫県立リハビリテーション中央病院を訪ねた。グーしか出せない左手を「ぐーちゃん」と呼んでいた陽喜君は、義手を「ぎーちゃん」と名付けた。
1年半の間、月に数回通って訓練した。パーを出せるだけでなく、竹馬に乗ったり、小さな穴にひもを通したりすることもできるようになった。義手は約150万円するが、障害者総合支援法に基づく補助金を受け、自己負担3万7200円で購入できた。
陽喜君が一度だけ布団の中で号泣したことがある。年長時の縄跳び大会で友達が100回跳べたのに、自分は一度も跳べなかった時だ。お母さんと一緒に1カ月、猛特訓。前跳びだけでなく、難しい後ろ跳びも30回できるようになった。
指の部分が平らになった運動専用の義手も使っている。小学生になって跳び箱6段を跳べるようになり、三点倒立を練習中だ。ボタンも付けられるし、ホルダーをつけて茶わんも持てる。両親は「最初から『できない』と言っても手助けしない」と伝えてきた。
幼稚園の時から水泳を習い始めた。バランスが取りにくく、息つぎのたびに水中に沈んだ。大和郡山市内で昨年開かれた「障がい者水泳タレント発掘イベント」で、障害がある選手が難なく泳ぐ姿を見て驚いた。息つぎの方法を学び、50メートル泳げるようになった。
5月に作文を書いた。
「ぼくは、大人になったらパラリンピックに出てメダルをとりたいです。きょうぎは水えいです。ぼくにとってぎしゅは、ともだちです。これからもぎしゅをつかっていろんなことをがんばっていきたいです」(筒井次郎)
アサデジより!!!