「 龍馬からの手紙 」、、、、、、、、、

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No・1


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No・2


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No・3


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No・4

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No・5

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No・6


 坂本龍馬(1836~67)が兄・権平の家族に宛てた手紙が新たに6枚見つかった。高知県が15日、明らかにした。龍馬が幕府側に襲撃された寺田屋事件や、幕府と長州の戦争を生々しく記述。文中には西郷隆盛(吉之助)や小松帯刀、高杉晋作など維新の志士たちの名前も登場する。

 県などによると、6枚の手紙はいずれも縦25センチで、幅は30センチ前後。龍馬が慶応2年12月4日(1867年1月)に記した。手紙の存在は写本で知られ、原本の一部も見つかっていたが、この6枚は初めて原本が確認された。6枚は手紙全体の4割に相当する部分だという。

 手紙の1枚目は寺田屋事件について記述。66年に京都の寺田屋にいた龍馬が幕府側に襲撃された事件で、龍馬は負傷しながら薩摩藩邸に逃れたとされる。手紙には薩摩藩の小松帯刀や西郷隆盛と語り合い、笑ったことなどが書かれている。

 手紙の3枚目は、寺田屋事件と同じ年にあった幕府と長州の戦争を描写している。長州藩高杉晋作が錦ののぼり旗を振って指示を出したり、味方に酒を振る舞って戦意高揚を図ったりする様子などが書かれている。

 手紙は現在、北海道の男性が所有しており、高知県が1330万円で購入する予定。昨年秋に男性から県立坂本龍馬記念館に連絡があったという。

 手紙を調べた京都国立博物館上席研究員の宮川禎一(みやかわていいち)さんは「寺田屋事件などの重要な記述を含む手紙の原本が出てきたのは大きい」と評価している。(高木智也、佐藤達弥)

■龍馬の手紙の現代語訳

 (略)この大坂からの坂本龍馬捕縛命令は幕府大目付の某から伏見奉行に申してきたことで、「坂本龍馬なるものは決して盗みや虚言はしない者ではあるが、この者がいては徳川家のためにならない。是非とも殺すように」との指令だったようです。その理由は幕府の敵である長州と薩摩の間を往来しているからだとのこと。この話を聞いた薩摩屋敷の小松帯刀や西郷吉之助なども皆、大笑いいたし、かえって私が幕府のあわて者に出会って、はからぬ幸いだ、と申しあったことです。

 (手紙の写しを収録している「全書簡現代語訳 坂本龍馬からの手紙」=宮川禎一さん著=から引用)

     ◇

 (略)この戦争の間に、一度大きな戦闘があり、長州側の兵士が五十人ほども討ち死にした際[いくさで味方が五十人も死ぬという時は、敵方もあわせるとおびただしい死人が出るものです]、長州軍の先鋒がしばしば敗れるような苦境でしたが、指揮官の高杉晋作は本陣から錦ののぼり旗を振って指示を出し、薩摩藩の使者村田新八と色々と雑談し、ヘタヘタと笑いながら敵の動きに気をつけていました。敵方は肥後藩兵ということでなかなか手ごわい相手でしたが、高杉は酒樽を数々運ばせて、戦場にてこれを開けて兵士たちに飲ませるなど、しきりに戦意を高揚させ、とうとう敵兵を打ち破り、肥後軍の陣幕や旗印などを残らず分捕ってしまいました。(略)

 (手紙の写しを収録している「全書簡現代語訳 坂本龍馬からの手紙」=宮川禎一さん著=から引用)

     ◇

 一、何卒、去年お願いした父上をはじめ、皆さまの御歌などを長崎までお送りいただきたく思います。

あて名と住所は右のとおりお記し下さい。

西郷吉之助様近

  坂本龍馬様……

またその上の封紙には

 薩州長崎御屋敷御留守居   汾陽次郎左衛門様……

 右、長い手紙は十二月四日、長崎本博多町小曽根英四郎方で記しました。この宿は八月から定宿として滞在いたしております。

龍馬

 (手紙の写しを収録している「全書簡現代語訳 坂本龍馬からの手紙」=宮川禎一さん著=から引用)



アサデジより 転写!!!




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by tomoyoshikatsu | 2017-06-18 05:52 | 呟き | Trackback | Comments(0)