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ナガサキノート シンポジウム

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 朝日新聞長崎県内版で連載している「ナガサキノート」が3千回を迎えたことに合わせ、長崎原爆資料館長崎市)で19日に開かれたシンポジウム「『あの日から』をつなぐ」には若者から高齢の被爆者まで約250人が参加した。原爆の記憶をどう伝えていくか、対談やパネルディスカッションを通じてともに考えた。



■若者や高齢者、発言


 シンポの第1部では、いずれも芥川賞作家の柳美里さんと青来有一さんが対談。第3部のパネルディスカッションでは、被爆者被爆2世、若者らが原爆の体験をどう語り継いでいくかについて議論した。

 原爆の投下翌日に撮られた「黒こげの少年」の写真は兄だと名乗り出た、西川美代子さん(79)、山口ケイさん(77)姉妹も来場。山口さんは「色んな形でつないでいくのが大事なんだなと思った。写真を通して、今から一生懸命伝えていきたい」と話した。

 被爆者の田中安次郎さん(74)は、登壇者について「それぞれの立場で目標を持って活動し、若い人は若い人なりにしっかり発言していた。非常に頼もしい」。被爆者で、原爆資料館で開催中のナガサキノート展で兄の遺品代わりのドイツ語の本が展示されている郡家徳郎(ぐんげのりお)さん(87)は「たくさんの人たちが、人間に苦痛や悲しみを与えた原爆について、当時に思いをはせながら考える、良い機会になったと思う」と振り返った。

 県立長崎東中学校2年の森未来君(14)は、柳さんが東日本大震災で被災した宮城県の女性に「泣いただけで終わらせないで。知るということには責任が伴うんです」と言われた体験を紹介したことが印象に残った。「ただ知っているだけではなく、伝えていくことが大事だと感じた」

 東京都足立区の番組制作会社社員、藁科(わらしな)直靖さん(35)も「知ったからには伝えないといけない」という言葉に「突きつけられるものがあった」という。「長崎で起きたことを知らない東京の人はたくさんいるはず。自分も伝えないといけないと感じた」

 活水女子大4年の岩橋侑衣(ゆい)さん(21)は、被爆者の話を語り継ぐパネリストの話を聞き、「当たり前の日常が壊されることが、自分の身にも起こっていたら」と自身に引きつけて考えることができたという。「継承という大きな話ではなく、私にも身近なところでできることがある」と話した。

■響く歌声「奪われる理由のなかった命」

 シンポの第2部では、Toshi(トシ)さん(28)、Jyun(ジュン)さん(36)の医師2人組の音楽ユニット「Insheart(インスハート)」が、ピアニスト松元沙綾さん(25)とともにステージで2曲を披露した。うち1曲は「おばあちゃんの のこしもの」。被爆者に実際に会って話を聞き、作った曲だ。

 2人は長崎大医学部出身の医師。「つらく、苦しく、悲惨な出来事だったと思う」「被爆者の生の声を聞く機会は減っていく。被爆者の思いを音楽を通して伝えていければと思っている」と曲に込めた思いを述べて、歌い出した。

 「おばあちゃんは目を閉じ あの日を語りだした 私の息子 あの子は いつも私の膝(ひざ)にくる甘えん坊で……」「何一つ 何ひとつ 奪われる理由のなかった命……」。情感のこもった歌声を会場に響かせた。(福岡泰雄)

■「伝えること貴重な仕事」 柳さんら「ナガサキノート展」見学

 シンポジウムに先立ち、対談に出演した柳美里さんと青来有一さんが長崎原爆資料館で開催中の「ナガサキノート展」を見学した。

 柳さんは過去のナガサキノートの記事をまとめたパネルを見ながら「犠牲者を数字から救い出す、その人の人生を切り出す作業ですね」。爆心地近くで見つかった谷﨑昭治さんの水筒に見入って、「ただ物を展示しているのではなく、ストーリーとともに展示されているので伝わってくるものが違う」。

 展示を見終えた柳さんは「人が生きているとき、物語なくしては生きられない。これだけ多くの方が一瞬にして亡くなったと伝えるだけでは、その人の人生、物語には到達できない。こうやって伝えていくことは貴重な仕事だと思う」と感想を語った。(山野健太郎)


アサデジより!!!「 写真


ローマ法王 来日


長崎にも……… 来崎されました!!!


雪が降って …… いたと、、、記憶していますね、、、「 平和公園 」から 【 原爆病院 】の途中 …… 歩道で眺めました!!!


酉年の年!!!でした、、、、、、、、


by tomoyoshikatsu | 2017-02-23 10:56 | 反戦