米フロリダ州マイアミでは26日、フィデル・カストロ氏の死去から一夜明けても歓喜が続いていた。亡命キューバ人の多くが住む「 リトル・ハバナ 」。大通りは数千人であふれかえった。
キューバ国旗を掲げる人、サルサのリズムで踊る人。フライパンをたたいたり、叫びながら抱き合ったり。人々は思い思いに喜びを表していた。
ガルシマ・バルギン・ソエルモさん(69)は妻と共に国旗を掲げた。キューバ革命の起きた1959年、両親が独裁政治を恐れ、家族4人で逃れてきたという。「 本当は人の死を喜んではいけないけれど、祝わずにはいられない。彼は多くの人を殺し、苦しめた独裁者。だから、うれしい 」
米国での生活は貧しく、楽ではなかったという。学校を出て、機械工として勤め上げた。子供2人に恵まれ、豊かな暮らしができたと満足している。「 古い車、古い建物。キューバは半世紀、時が止まったままだ。米国に来てよかった 」
通りで骨董品屋を営むジョセフ・アルガジさん(67)は「独裁者、悪魔が死んだ。すばらしいことだ」と言う。アルガジさんも59年、家族5人でハバナから亡命。不動産業で財を成し、今は趣味のコレクションを店に並べる。「 資本主義の米国にはチャンスと自由がある。キューバはどうだ? みな財産は奪われ、働かされ、奴隷のようではないか 」。いつか故郷に戻りたいと言う。「 でも、今は帰りたくない。ラウル・カストロがいる限り、キューバに自由はやってこない 」と話した。
通りでは、Tシャツや旗が売られていた。会社員のグスタボ・ゴンザレスさん(37)はスペイン語で「 キューバの自由万歳 」と書かれたTシャツを売った。この日朝、急きょ300着を作ったという。7ドルのTシャツが次々と売れていく。「みんなこの日を待っていたんだ 」と笑う。
20年前、両親と3人でグアンタナモから移り住んできた。「最初は英語もできなくて、仕事もなくて。でも自由があった。キューバでは、自由に表現することが許されなかった。だから今は幸せだ」と話す。
歓喜する人々の中には、トランプ米次期大統領の支持者が多く見られた。トランプ氏のプラカードを掲げたり、キャッチフレーズが書かれた帽子をかぶったり。会社員のルイス・ファザドさん(56)は53年前、ハバナから家族7人で亡命した。「キューバと国交を回復したオバマ大統領は許せない。なぜ独裁者の国を許すのか」とトランプ氏支持の理由を説明した。
アサデジ!!!
11月25日に90歳で死去したキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長。
2016年5月27日。
オバマ大統領がアメリカの現職大統領として初めて被爆地広島を訪れました。
〝 歴史的な1日 〟
と言われたあの日から早くも半年が経ちました。
オバマ大統領の訪問とこの半年を振り返って広島平和記念公園でガイドをしていて感じることを書いてみようと思います。