ナガサキ ノート 清野 定廣 さん


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■清野フミさん(1924~45年)・定廣さん(1937年生まれ)

 《今はあの人以外に求め様とする人は居ない。お母さんにも話をしてみよう、うすうす感じているらしい》

 恋人の存在をうかがわせる女性の日記。女性はこうつづったのを最後に、1カ月もたたないうちに21歳で亡くなった。長崎に原爆が落とされた翌月、1945年9月のことだ。

 女性は清野(きよの)フミさん。原爆が落とされた8月9日から17日までの日々をつづった手記が残る。被爆直後に書かれた貴重な文章だ。

 フミさんは爆心地近くの工場で被爆し、当初は九死に一生を得たものの、まもなく短い人生を終えた。手記を長崎原爆資料館に寄贈した弟の定廣(さだひろ)さん(79)=長崎県大村市=は「フミ姉さんは無念だったと思う。こういう生き様をした人がいるということだけでも見てもらえれば」と語る。

 語り部として活動する定廣さんの話と手記を通し、フミさんの「生き様」と定廣さんの思いを伝えたい。

 清野フミさん、定廣さんの一家は9人きょうだいの大家族だった。フミさんは三女で4番目、13歳下の定廣さんは7番目の四男だった。定廣さんが物心ついた時には、フミさんら年の離れた兄、姉は働きに出るなどして、一緒に生活した記憶はないという。幼い頃は親戚の家で暮らしたこともあった。

 父・勉(つとむ)さんはもともと教師だった。「仏のような人だった」と定廣さん。小学校の校長だった時、トイレの掃除を率先して行い、「便所校長」と慕われていたという。

 戦況が悪化していた1945年、母・貞子(さだこ)さんや定廣さんら下の子どもたちは長崎市中心部に近い片淵町から深堀村(現在の長崎市南部・深堀地区)に疎開した。

 勉さんはその頃には学校をやめ…

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アサデジ 長崎版 より!!!


全国版( アサデジ )よりも、地方版を載せることにしました!

此方は、面倒ですけどね( 移るのに! )、転写( Blog )文字数が限られてますので ………

予定では あと ………………… 2〜3回今年中に載せます!!!


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by tomoyoshikatsu | 2016-11-25 15:04 | 被爆者関係の… | Trackback | Comments(0)