長崎・山里小学校の… 生徒達
『 あの子 』
原爆で1300人の子供達と教師が亡くなった長崎・山里小学校の「 あの子らの碑 」の除幕式(1949年)で発表され歌い継がれています。
【作詞】永井隆
【作曲】木野普見雄
壁に残った 落書きの
おさない文字のあの子の名
呼んでひそかに耳すます
ああ
あの子が生きていたならば
運動会のスピーカー
聞こえる部屋に出してみる
テープ切ったるユニフォーム
ああ
あの子が生きていたならば
ついに帰らぬおもかげと
知ってはいても 夕焼けの
門(かど)に出てみる葉鶏頭
ああ
あの子が生きていたならば
原爆で1300人の子どもたち、教師が亡くなった長崎・山里小学校の「 あの子らの碑 」の除幕式(1949年)で発表され歌い継がれています。
「 あの子らの碑 」は「 長崎の鐘(新しき付き)」で紹介しました永井隆博士の発案で発行された生き残った子どもたちの体験集「 原子雲の下に生きて 」の印税を使って昭和24年11月に建立されたものです。
作曲の木野普見雄は、当時、長崎市議会の事務局長。
家族を失い、自らも被爆。市民の平和意識の向上のため、
この曲の他にも「 子らのみ魂よ 」「 平和は長崎から 」などを作曲してます。
この、子供達の為にも!
この!子供達の……また、子供達の……為にも
核兵器廃絶!
核兵器につながる!
《 原子力発電 》からの 脱却を・・・・・
戦争などない 『 世界平和 』を ………
創り上げて… ……
子供達へ
受け継いでもらう ・・・・
人間は 生きている!のではなく……………
『 生かされている 』と…思うべきです…………………
人間 ( ヒト )の…一生なんて…………………
【 宇宙 ( ソラ )】から観れば…………
ほんの 「 一瞬 」でしかない
そう……
おもいませんか………